Wakizashi [Yoshihiro (Nakayamaikkansai)] [N.B.T.H.K Hozon Token]

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Stock No:SWA-060120

Paper(Certificate): NBTHK Hozon Token
Country(Kuni)/Period(Jidai): Musashi(Tokyo), Late Edo period about 1818~

Blade length(Cutting edge): 46.7cm
Curve(SORI): 1.7cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 2.82cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.66cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.55cm
Sword tang(Nakago):  Unaltered,Kiri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana): 1
Length of Koshirae: About 67cm
Registration Card: Tochigi

【Additional Information】

中山一貫斎義弘は、本名を鈴木善吉といい駿河国小夜の中山に生まれたので、中山蔵人と称します。伊豆蜷山の代官 大砲奉行職 江川太郎左衛門の御抱工に召し抱えられ、後に水戸に行き越中則重の末裔四代則利に則重伝の鍛法を学びました。作風は終始、郷義弘に私淑して相州伝上工の作域を彷彿とする肌物に専念したもので一貫斎鍛と云われ称賛の対象になり、郷の義弘銘を同じにし一貫斎義弘と号しました。天保4、5年頃、上野国前橋藩松平家に抱えられ、以後は前橋に住して鍛刀をおこなうようになり江戸と行き来を重ねました。慶応元年7月12日、64歳にて没します。法名「心田妙種信士」前橋相続庵に御墓があります。一族に弟の義一、養子の剛中斎義通、子の一貫斎義勝がおり、孫に義秀、弟子に立花圓龍子国秀がいます。義弘は前橋藩工となり異才を放つ幕末の名工として人気があります。
本作は刃長が一尺五寸あまりの脇差で、姿は古作の薙刀巻き直しを狙っています。地鉄は板目肌がよく現れて地沸が付きます。刃紋は直で焼き出し、湾れて大きく互の目が乱れる刃紋で、刃縁に沸よくつき、砂流しや湯走り等が働きます。鞘は大変珍しい形の作品で江戸時代末期の頃の作と思われます。本作は肌物上手として知られた義弘の技量を十分に示した、生ぶ茎で地刃共に健全な義弘を代表する為書が入った注文打ち拵付きの傑作です。

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