Katana [Hizenkoku Tadayoshi(Saijo-Owazamono)] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
¥ 5,800,000
Stock No:KA-070224
Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Country(Kuni)/Period(Jidai): Saga(Hizen), Early Edo period about 1596~
Blade length(Cutting edge): 68.4cm
Curve(SORI): 1.8cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.73cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.55cm
Habaki: Two parts, Gold foil Habaki
Sword tang(Nakago): Kiriyasuri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana): 2
Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, Iorimune
Jigane(Hada):
Temper patterns(Hamon):
Temper patterns in the point(Bohshi):
Registration Card: Tokyo
【Additional Information】
初代忠吉、元亀三年(1572)~寛永九年(1632)は元亀三年に佐賀郡長瀬(現在の高瀬村)に生まれました。本名は橋本新左衛門尉忠吉と称し、日本刀史上では肥前刀の開祖であり最高位の名工です。若くして鍋島直茂に録二十五石で召抱えられ、慶長元年(1596)二十五歳のとき、藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り学びます。慶長三年に帰国して、佐賀城下に住し、肥前佐賀藩の庇護のもとに大いに栄えました。元和十年(1624)武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めます。彼は慶長新刀期を代表する屈指の名工です。その作風は青江写し、志津写しなどあり非常に上手であり古作と比べても遜色がないほどです。慶長十年頃より、小糠肌に直刃や湾れ刃、互の目丁子刃などを焼くようになり、肥前刀と呼ばれる作風を確立するに至ります。寛永九年八月十五日、六十一歳で没しています。作品は新刀最高位で位は新刀最上作。更に切れ味も抜群との評価から最上大業物にも列位します。初代の作品は重要刀剣にも多くの指定をみます。彼の息子の近江大椽忠広は終生忠吉と銘を切らず、八十歳まで作刀を続けます。以下の子孫は幕末まで繁栄して肥前刀の名を高めました。肥前国住人忠吉作、肥前国忠吉、肥前住忠吉、肥前国住人武蔵大掾藤原忠広、肥前国藤原忠広などと銘を切ります。制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれます。
本作体配は、刃長が二尺二寸六分、身幅、重ね共に尋常、鎬筋凛と立ち、反り適度、中切っ先がやや延び心となった気品のある刀姿を呈します。鍛は緩みなく精良な肥前肌で、地沸が微塵に付きます。刃文は初代忠吉含め同一門が得意とする直刃で、匂口深く、小沸よく付き、爛々と明るく冴えます。帽子は焼刃の勢いを保って、直ぐで先小丸へ返ります。茎は丁寧な切鑢がかかり、刀工銘を刻します。本刀は初代肥前国忠吉の一作で、通称「五字忠銘」の御刀です。地鉄は潤いに富んで精緻な小糠肌、焼刃も力感のある出来を示します。最上位刀工の名に恥じない出色の名刀としてご紹介いたします。白鞘、金着二重はばき、特別保存刀剣鑑定書。