Katana [Usyu-Akita-ju Minamono Masatada] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
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Stock number:KA-090119
Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Country・Era:Dewa(Akita)・Late Edo period 1862
Blade length(Cutting edge): 73.8cm
Curve(SORI): 2.0cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.23cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.55cm
Length of Koshirae: about 103cm
Habaki: One parts, Shilver foil Habaki
Sword tang(Nakago): Unaltered,Sujikaiyasuri with Keshoyasuri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana): 1
Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, Iorimune
Jigane(Hada): Itame with Mokume
Temper patterns(Hamon): Gunome-Choji
Temper patterns in the point(Bohshi): Midare turning Komaru
Registration Card: Kanagawa
【Additional Information】
本刀の正忠は、本名 三浦定五郎 吉長と称し刃物打ちで有名な三浦長兵衛の次男で、現在の秋田県仙北市角館谷地町に住し鍛冶をしたと伝えられています。文政年間より明治初期まで生存したというが、生没年は不詳。 作刀は水心子門下“正照”の末裔 に師事したともいわれるが、師系の詳細は不明です。佐竹北家の抱鍛冶であることから“源”を冠したと云われています。正忠は、久保田藩士で秋元米吉と称し通称八橋鍛冶といわれているが、通称は長左ェ門で、師を江東に求め、日夜鍛錬して帰り、文久年中は秋田の藩士になり、明治戊辰の役(奥羽戦争)の時多く作刀しました。この刀は文久二年の作品ですので、羽州秋田住源正忠造と刻銘されており、しっかりと時代考証が成り立つわけです。刻銘は、羽州秋田住源正忠造、出羽秋田住正忠造、出羽秋田住源正忠造、秋田住源正忠造、などです。
本作、体配は刃長が二尺四寸八分半で、身幅は元先尋常で、重ね確りとした健全な姿の御刀です。地鉄は板目肌に杢目交じり練れて地沸が付きます。刃文は大きく乱れた互の目丁子刃文で、匂い深く小沸付いて明るく冴えます。刃中には足よく入り、砂流しかかり、金線がしきりと働く様は誠に見事であり、工の技量の高さを伺い知ることが出来ます。帽子は乱れて小丸へ深く返ります。茎は見ただけで水心子の門人の作であることがわかる下手です。刻銘がしっかり刻まれ、錆味は良好です。白鞘、黒石目塗鞘打刀拵、特別保存刀剣。
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