Katana [Efu-jyu Sano Yukihide] [N.B.T.H.K] Jyuyo Token
Out of Stock
Stock number:KA-090318
Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Jyuyo Touken
Country・Era:Musashi(Tokyo)・Edo era about 1847
Blade length(Cutting edge): 76.15cm
Curve(SORI): 1.4cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.12cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.90cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.24cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.71cm
Length of Koshirae : about 109cm
Habaki: Two parts, gold foil Habaki
Sword tang(Nakago): Unaltered, Osujikai with Keshoyasuri yasuri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana): 1
Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, Iorimune
Jigane(Hada): Masame
Temper patterns(Hamon): Notare
Temper patterns in the point(Bohshi): Notare turning Komaru
Registration Card: Tokyo
【Additional Information】
左行秀は、伊藤又兵衛盛重の嫡子として文化十年筑前国上座郡朝倉星丸の里に生まれた。そして自ら筑前左文字三十九代目を以て任じ、彼の作刀にそれを刻銘したものがある。天保初年出府し、細川正義門人清水久義に鍛刀の技を学び、弘化三年、行秀三十四歳の時土佐藩工関田真平勝広の勧めにより土佐に下った。万延元年の終りから文久二年の初め頃、彼は再び江戸に上り、深川砂村の土佐藩邸に居所を構えて作刀し、安政二年十月土佐藩工となったが、慶応三年五月板垣退助との不和が元で、同年夏土佐に帰り、この時より「東虎」と銘している。彼の作刀は明治三年で終り、晩年は明治二十年七十五歳で歿没するまで、嫡子幾馬と横浜で暮らした。この刀は、身幅がやや狭く、元先の幅差がつき、中鋒があまり延びていない姿をしており、通常の行秀の作とはやや造込みを異にしているが、直刃調に浅くのたれた刃を焼き、沸・匂が深く、金筋・砂流しがかかるなどは正に同工の典型で あり、加えて地刃の冴えは見事で、同作中の優品である。なお、彼の地鉄には、本刀の如く総柾目の鍛えが稀に見られる。白鞘、拵、金着二重はばき、第32回重要刀剣鑑定書。
Out of stock