Katana [Hizenkoku Tadayoshi][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon token
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Stock number:KA-120121
Paper(Certificate):[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Token
Country・Era:Hizen(Saga) Middle Edo period about 1596~
Blade length(Cutting edge): 71.2cm
Curve(SORI): 1.4cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.02cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.72cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.50cm
Habaki: Two parts, gold foil Habaki
Sword tang(Nakago): Unaltered,Kiriyasuri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana): 2
Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,Iorimune
Jigane(Hada): Koitame with Jinie
Temper patterns(Hamon): Notare and Kogunome
Temper patterns in the point(Bohshi): Sugu ni Komaru
Registration Card: Tokyo
【Additional Information】
初代忠吉、元亀3年(1572)~寛永9年(1632)は元亀三年に佐賀郡長瀬(現在の高瀬村)に生まれました。本名は橋本新左衛門尉忠吉と称し、日本刀史上では肥前刀の開祖であり最高位の名工です。若くして鍋島直茂に録二十五石で召抱えられ、慶長元年(1596)25歳のとき、藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り学びます。慶長三年に帰国して、佐賀城下に住し、肥前佐賀藩の庇護のもとに大いに栄えました。元和10年(1624)武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めます。彼は慶長新刀期を代表する屈指の名工です。その作風は青江写し、志津写しなどあり非常に上手であり古作と比べても遜色がないほどです。慶長10年頃より、小糠肌に直刃や湾れ刃、互の目丁子刃などを焼くようになり、肥前刀と呼ばれる作風を確立するに至ります。寛永9年8月15 日、61歳で没しています。作品は新刀最高位で位は新刀最上作。更に切れ味も抜群との評価から最上大業物にも列位します。初代の作品は重要刀剣にも多くの指定をみます。彼の息子の近江大椽忠広は終生忠吉と銘を切らず、80歳まで作刀を続けます。以下の子孫は幕末まで八代に渡り繁栄して肥前刀の名を高めました。肥前国住人忠吉作、肥前国忠吉、肥前住忠吉、肥前国住人武蔵大掾藤原忠広、肥前国藤原忠広などと銘を切ります。制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれます。
本作は、刃長が二尺三寸五分。身幅は元先確りで質実剛健ぶりを示し、流石に肥前刀らしく姿が整いスタイルの良さに感心させられる御刀です。地鉄は、小板目肌が良く練れて詰んで地沸が付く精美な鍛です。刃紋は冴えて明るく、匂深に小沸がつく湾刃で、互の目が現れ小足、葉入り、二重刃掛かるなどし、砂流しに金線が働きます。鍛が良いからこそ表現できる刃です。帽子は、そのまま直調子で小丸へと上品に返ります。茎は五分ほど区を送るようですが、ほぼ生ぶであり、立派に肥前国住人忠吉銘が切られます。本刀は、すっきりと見映えが良く、初代忠吉の特色と高度な技量を十分に示した刀の優品になります。白鞘、金着二重はばき。
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