Tantou [Hizenkoku Tadayosi / Gojitada][N.B.T.H.K] Tokubetsu hozon Token
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Stock number:TA-060516
Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Country・Era:Hizenkoku(Saga,Nagasaki)・Edo era 1615
Blade length(Cutting edge): 28.5cm
Curve(SORI): 0cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 2.72cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.58cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.2cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.45cm
Length of Koshirae : about 53.0 cm
Habaki: Two parts, gold foil Habaki
Sword tang(Nakago): Unaltered,Kiriyasuri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana):1
Shape(Taihai): Hirazukuri,Iorimune
Jitetsu(Hada): Koitame with Jinie
Temper patterns(Hamon): Notare
Temper patterns in the point(Bohshi): Sugu ni Komaru
Registration Card: Fukuoka
【Additional Information】
初代忠吉、元亀3年(1572)~寛永9年(1632)は元亀三年に佐賀郡長瀬(現在の高瀬村)に生まれました。本名は橋本新左衛門尉忠吉と称し、日本刀 史上では肥前刀の開祖であり最高位の名工です。若くして鍋島直茂に録二十五石で召抱えられ、慶長元年(1596)25歳のとき、藩命により一門の宗長と共 に京の埋忠明寿の門に入り学びます。慶長三年に帰国して、佐賀城下に住し、肥前佐賀藩の庇護のもとに大いに栄えました。元和10年(1624)武蔵大掾を 受領し、名を忠広と改めます。彼は慶長新刀期を代表する屈指の名工です。その作風は青江写し、志津写しなどあり非常に上手であり古作と比べても遜色がない ほどです。慶長10年頃より、小糠肌に直刃や湾れ刃、互の目丁子刃などを焼くようになり、肥前刀と呼ばれる作風を確立するに至ります。寛永9年8月15 日、61歳で没す。作品は新刀最高位で位は新刀最上作。更に切れ味も抜群との評価から最上大業物にも列位します。肥前国忠吉、肥前国住人忠吉作、肥前住忠 吉、肥前国住人武蔵大掾藤原忠広、肥前国藤原忠広などと銘を切ります。制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれます。
本 作は、刃長が九寸四分。身幅は元先確りとして重ね尋常。刃区が確りと残って、研溜のこぶも無く、殆ど研ぎによる減りが感じられない健全な姿を保つ美しい短 刀です。刀も短刀も、忠吉の御刀には何時もながらスタイルの良さに感心させられます。地鉄は、小板目肌が良く練れて詰んで地沸が付く精美な鍛です。刃紋は 冴えて明るい、匂口締まり小沸がつく湾れた中直刃で、処々にうちのけ、食い違い刃を交え、二重刃掛かるなどし、刃縁には砂流し、金線が働き覇気がありま す。鍛が良いからこそ表現できる刃です。帽子は、浅く湾れて先掃きかけるようにして金線も働き、小丸へと上品に返ります。茎は生ぶで、立派に五字忠銘が切 られます。すっきりと見映えがする短刀です。附、拵。金着二重はばき、特別保存刀剣鑑定書
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