Tantou [Kurihara Nobuhide] [N.B.T.H.K]Hozon Touken

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Stock number:TA-010704

Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Hozon Token, [N.B.T.H.K] Kousyu Tokubetsu Kityou Touken
Country・Era:Edo・Edo era  1856

Blade length(Cutting edge): 27.7cm
Curve(SORI): Inner curve 0cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.1cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.65cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.6cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.6cm
Habaki: One parts, gold foil Habaki
Sword tang(Nakago): Unaltered,Sujikai file pattern
Rivet Holes(Mekugiana):1

Shape(Taihai): Hirazukuri,Iorimune
Jitetsu(Hada): Itame
Temper patterns(Hamon): Gunome-midare
Temper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi,Komaru
Registration Card: Hokkaido

【Additional Information】
栗原信秀は文化12年(1815)越後に生まれました。信秀は幕末の巨匠・源清磨門の第一人者でありましたが、入門の年齢は遅く、嘉永元年(1848)で三十四、五歳の頃とされています。それ以前は鏡師でした。転職した頃には既に家族もあり、加えて師の清磨とは僅かに二歳ちがいと言うわけで相当の苦労があったっと想像されますが、才能があった信秀は短い期間で清磨の技を吸収してしまい、嘉永5年(1852)に独立しました。伊豆浦賀、江戸上野で仕事をしていましたが、慶応元年には京都に上り、孝明天皇から「筑前守」を受領します。信秀は人気刀工清麿の高弟として作風を継承しているほかに、刀身に竜や不動、梅枝など緻密な彫りをいれたため、特に人気があります。栗原信秀、栗原謙司信秀、栗原筑前守信秀、筑前守平朝臣信秀、信秀などと銘を切りました。明治になって天皇の御番鍛冶に任命され、明治5年(1872)には天皇に佩刀を献上し、7年(1874)には政府の命により建立された神社「招魂社(今の靖国神社)」の御鏡三面を打ち上げて、最高の名誉を受けて故郷三条に帰ります。三条八幡宮の御神鏡や弥彦神社の御神鏡などが代表的な作品です。
この信秀短刀も上出来の一振りで甲種特別貴重刀剣。日本美術刀剣保存協会新潟支部の発行である栗原信秀の研究所載品となっている名品です。体配は、身幅が広く重ね厚く寸が延びる短刀姿で誠に立派。鍛は板目肌が詰んで美しく地沸がついて地景が入ります。刃紋は互の目が連ねて角がかった刃が交じり、足入り、匂い深く沸よく付いて、砂流しが掛かります。帽子は乱れこんで先尖り心。裏丸、共に深く返り先は掃き掛けます。茎は生ぶです。裏年紀の部分にやや朽ちが見られ惜しまれますが、他は通して健全であり苦になりません。栗原信秀の代表作品であることは間違え無く、信秀の研究にも所載された、大変貴重な一振りです。白鞘寒山鞘書。金着せ腰祐乗鑢仕上一重はばき。甲種特別貴重刀剣 保存刀剣鑑定にも合格しています・

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