Wakizashi [Kawabe Gihachiro Masahide (Suishinshi Masahide) ] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Out of Stock
Stock No:WA-120121
Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Country(Kuni)/Period(Jidai): Musashi(Tokyo), Late Edo period 1812
Blade length(Cutting edge): 41.6cm
Curve(SORI): 0.8cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.17cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.71cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.55cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.50cm
Habaki: One parts, Gold Habaki
Sword tang(Nakago): Unaltered,Sujikaiyasuri with Keshoyasuri file pattern
Rivet Holes(Mekugiana): 1
Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, Iorimune
Jigane(Hada): Itame with Jinie
Temper patterns(Hamon): Kogunome
Temper patterns in the point(Bohshi): Sugu turn Komaru
Registration Card: Shizuoka
【Additional Information】
正秀は寛延三年出羽国の生まれ。明和八年、二十二歳の時に武州下原吉英門となり、初期には宅英、英國と銘を切りました。その後、安永三年に故郷の藩主である出羽国秋元家に仕官し、川部儀八郎正秀から、水心子正秀と銘を改め、文政元年にはさらに天秀と銘しました。正秀は新々刀の生みの親とも言われている先駆者で、鍛刀技術の革新に尽力し、旧来の鍛刀法を一変する復古鍛錬法を提唱しました。彼は自らも名匠とうたわれて、その正秀の主張に賛同した刀工が全国各地から集まるようになりました。大親分的性格に加え、刀剣学者でもありました正秀は、大慶直胤、細川正義、長運斎綱俊らをはじめ百余名にも及ぶ刀匠を養成しました。現代刀工にも、正秀の流れを汲む流派が少なくないようです。特に初期作には、大阪物の写しを得意とした津田越前守助廣を写した名作があります。正秀の刀は勝海舟が愛刀としていたことでも有名です。正秀は自著に生涯の作刀369口と書いており。現存確認ができている刀が100振ほどであることなどから本刀も脇差ながら、正秀の特色と高度な技量を十分に示した作であるということもあり、貴重な遺作であると言えます。
体配は、一尺三寸七分半と短めの刃長ながら身幅が広く、大変立派で確りとした姿が美しい一振りです。身分の高い人が注文打ちした御刀であることは間違えありません。地鉄は詰んだ板目肌鍛で地沸がついて明るく冴えます。刃文は匂口深く小沸がつく明るく冴えた刃です。刃文は小互の目乱れとなり、やや逆さ掛かり繊細に乱れます。刃中には足、葉入り、働きは盛んで、上工ならではの巧みな業が存分に示されています。帽子は、直となって先尖り気味で小丸へ返ります。茎は生ぶで刻銘が鮮明に残る保存状態です。拵は写真の通り研出鮫鞘の脇差拵が附しています。このように内外揃った魅力タップリな新々刀最上作、正秀の脇差です。白鞘、拵、特別保存刀剣鑑定書、
Out of stock